静岡県豊田村曲金(現在の
静岡市駿河区)の出身。旧制静岡中学卒業後、
早稲田大学に入学。童話雑誌「
赤い鳥」に投稿した作品が
北原白秋に認められ童謡作家となる。俳句同人誌「曲水」にも参加。中山晋平らとともに「子供達の歌」を出版。雑誌「海国少年」の編集長も務めた。28歳の若さで
結核で亡くなってしまったため作品数は多くない。
彼の母校である静岡市の西豊田小学校には「背くらべ」の歌碑が建てられている。また西豊田小学校すぐ南側の南幹線(カネボウ通り)沿いにある和菓子店の一角には、「海野厚生家跡」の石碑が建てられている。
・ 「背くらべ」・・・この作品は兄に背の高さを測ってもらった弟の視点で書かれている。しかし実際の厚はこの歌の兄の立場(7人兄弟の長兄)であった。柱の傷が去年のものではなく一昨年なのはこのころ東京に出ていた(早稲田大学在学中)厚が帰省できなかった時のことを弟の気持ちになって書いたからだといわれる(帰省できなかったのは結核の治療のため、恩師の追悼会に出席していたためなど諸説ある)。