伊勢国一志郡須川村(現在の
三重県松阪市小野江町)の郷士・松浦桂介の四男。
山本亡羊に
本草学を学んだ。早くから諸国をめぐっており、
1838年には平戸で僧となり文桂と名乗った。
1844年に還俗し蝦夷地探検に出発。その探査は
択捉島や
樺太にまで及んだ。
1855年に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。明治に入った
1869年には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほか
アイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定した。
1870年に
開拓使を批判して職を辞してからは余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったという。