日本医師会 wikipedia|無料辞書
◆ 概要
医道の高揚、医学教育の向上、医学と関連科学との総合進歩、医師の生涯教育などを目的としており、その目的を達成するため医師の生涯教育や公開の健康セミナーなどの学術活動、医療・保健・福祉を推進する為の医療政策の確立、
生命倫理における諸問題の解決等の幅広い
公益事業を行っている。また、政治組織である
日本医師連盟を通して政治活動を行っている。また、日本医師会の下部組織である47の
都道府県医師会、更に全国約920の
郡市区医師会は、いずれも独立した公益法人で、各地域の
医療・
介護・
福祉の全般に渡り地元行政など関係部署と連携しつつ、様々な事業を行っている。
医師の職業団体であり、医師の権益を守り、
医学および医療情報を提供する組織」であるが、
圧力団体としてのイメージが喧伝され、「
ヒポクラテスの誓い」に象徴されるような職種の団体として、
公益法人として地道な活動をしていることは余り知られていないのが実情である。日本医師会への加入は任意であるので、会員数約16万3千人とその組織率は全医師の約6割に留まっている。
◆ 誕生までの歴史
明治になって洋方医が増えるに従い、全国各地に互いの研修や親睦を目的に任意の業種団体が設立された。時代と共に組織の法定化を要望する声が高まり、
1906年(明治39年)、1)医師会を
郡市区医師会及び
道府県医師会の2種類とする、2)官公立病院以外の医療施設で医業に従事する医師は全てその所在地の都市区医師会員になり、道府県医師会が設立されれば管内の都市区医師会員は自動的にその会員になる、内務省令の
医師会規則により規定された。
更に
1922年(
大正11年)の改正
医師会令では、a)
日本医師会は、五道府県以上の医師会長が設立委員になって会則案を作成し、道府県医師会の3分の2以上の同意を得た上で設立総会を開き、その議決を経て設立することが出来る、b)日本医師会の総会は、道府県医師会がその会員である都市区医師会の会員中より選んだ日本医師会議員を以て組織する、とされた。
1924年3月31日発行の内務省衛生局資料には、「医師会並に医学会の起源は明治8年、松山棟庵、
佐々木東洋等数十名の発起に由りて成立せる“医学会社”なるべし。次で明治15年、
高木兼寛等の“成医会”及び田口和美等の“興医会”が起り、明治16年に
佐野常民、長与専斉等が“
大日本私立衛生会”を、明治19年には
北里柴三郎が“東京医会”を設立した。その後、明治39年5月2日に医師法が発布されて法定の府県郡市区医師会が誕生し、更に大正12年3月に至って医師法が改正され、法定の日本医師会が設立した」と記されている。
これに先立ち、
1916年に
北里柴三郎などにより初めての全国的組織である
大日本医師会が設立されたが、
1919年の医師会令公布により都市区医師会、道府県医師会が次々と法的に整備された為、その上部機構である大日本医師会も法定化を急ぐべきとの意見が高まり、医師会令も改正され、
1923年11月25日、日本医師会創立総会が開催され、
北里柴三郎を初代会長として、ここに法定の
日本医師会が誕生した。
敗戦後、
1946年に中山寿彦会長以下新役員を選出して日本医師会改組審議会を発足、新制医師会設立要綱を作成し、翌年には「設立準備委員会」(委員長 榊原亨以下7名)を設けた。しかし、突然、中山日医会長ら13名が
GHQから呼び出され、戦争協力者に対する公職追放を医師会役員にも適用するという通告を受けた。そこで榊原委員長名を以て「昭和17年国民医療法施行後、昭和22年までの日本医師会の会則上の役員、及び都道府県医師会の支部長(副支部長以下は非該当)は、新制医師会の役員たることを自発的に辞退すべきこと」という要望を都道府県医師会に伝え、全医師会がそれをうけ容れ、
1947年11月1日、高橋明を会長とする
新制社団法人日本医師会が誕生した。
◆ 会長
日本医師会の会長は医師会員の代表決議機関である日本医師会代議員会で、代議員による選挙により選出され、任期は2年間である。この代議員の選挙は都道府県医師会に委託される為、代議員会は比較的高齢の会員(平成14年1月現在平均年齢68.7歳)で構成されている。
1957年から連続13期25年間会長を務めた
武見太郎は、医師会代表として保険医総辞退、全国一斉休診(事実上の
ストライキ)を強行するなど、厚生官僚との対決をも辞さない強い姿勢から
喧嘩太郎と呼ばれた。
◆ 歴代会長