学問好きで知られた治寶は、紀州藩士の子弟の教育を義務化し、藩都
和歌山城下には医学館を、
江戸赤坂紀州藩邸には明教館を、
松坂城下には学問所を開設するなどした。これら
藩校の蔵書は現在は
紀州藩文庫に保管されている。治寶の祖母清信院は、
賀茂真淵の門人であり、宣長は清信院の屋敷であった
吹上御殿で講釈も行なっている。
国学者・
本居宣長を召し出し、松坂城下に住まわせたことは有名である。
仁井田好古や大平を登用し史書を編纂させ、「
紀伊続風土記」の新撰を命ずるなど文化・芸術面での功績が非常に大きい。
古事記伝の題字も治寶が行なっており、治寶は「数寄の殿様」と呼ばれるに至った。
表千家や
楽家を庇護した治寶は、
文政2年(
1819年)に、表千家9代了々斎や楽家10代旦入を紀州藩の別邸
西浜御殿(現
和歌山市西浜)に招いている。
三井北家(三井家の惣領)6代
三井高祐が西浜御殿にて手造りした茶碗に治寶が亀の絵を描いたと伝わる。三井家は紀州藩領の
伊勢国松坂が一族のルーツであるということが縁で
紀州徳川家とは強いつながりがあった。三井家には治寶から下賜された宝物が多数伝わっており、紀州徳川家と三井家、さらには表千家との深いつながりを窺うことが出来る。表千家の総門は治寶が下賜したものである。その他にも
和歌浦に
不老橋を築造している。