「兵法(ひょうほう)」はあくまで個人の武芸の技を磨くものである。そのため、実戦においてはあまり役に立つものとは考えられておらず、高名な武将(
加藤清正・
福島正則など)であっても兵法を習ったというものは少なく、むしろ当時は
足軽技とみなされる傾向にあった。兵法家として自称したのは、
塚原卜伝・
上泉信綱・
宮本武蔵などが有名であるが、ただし、兵法家の価値は全般的には必ずしも高くはなく(大局を宰領する武将とはみなされなかったのであろう)、
大名出身の
柳生家以外でもっとも高禄であった宮本武蔵でさえ、晩年、
細川家において、客分700石という小藩の
家老程度の待遇であった(もっとも武蔵はその芸術家的天分と剣術を形而上的領域にまで昇華したという点で、並みの「兵法家」とは区別できる)。