ムハンマドの死後、ムアーウィヤの兄ヤズィードが初代カリフ
アブー=バクルによって初代
シリア州の総督(
アミール)となるとアブー・ウバイダの副司令官として同地の征服を命じられ、ムアーウィヤはこれに従ってシリア駐留の
東ローマ帝国との戦争に従事した。
ハーリド・イブン=アル=ワリードがイラク戦線から転戦し、
ダマスクス、
エルサレムなど主要都市が次々にイスラーム勢の支配下に下ったが、
639年にシリア一帯で流行した悪疫によってシリア総督アブー・ウバイダをはじめシリア方面軍の将卒の多くが病死した。第2代カリフ
ウマルはヤズィードに次代総督を任せ、抵抗が激しかった
カエサリアの征服を命じた。しかし、
640年に兄ヤズィードもダマスクスで病死すると、ウマルは改めてムアーウィヤにシリア総督に任じ、シリアの部族を掌握してカエサリアを陥落させるなど東ローマ帝国との戦いを進め、
キプロス島と
ロードス島を征服してシリアに確固たる勢力を築いた。
ムアーウィヤは、すでに歴代カリフの暗殺に見られるように、ハワーリジュ派などアラブ諸軍(ムカーティラ)の叛乱を抑制するため、軍や支配地域の俸給と租税を監督する官庁や勅令を管理する官庁を整備していわゆる
ディーワーン制度の確立を進め、各都市や宿場に駅馬を配置して
駅逓制度(バリード)を敷設し、遠方に展開している駐留軍の改廃など軍事制度の整備など、指導者である預言者やカリフを中心とする部族集団の連合体だったイスラム共同体を国家体制として機能できるよう整備に努めた。