小ピピンの死後、
イタリアの
ランゴバルド王国の王デシデリウスは王女をカールの妃としてフランク王国からの脅威をとりのぞき、ローマ教会への影響力を強めて勢力挽回を図ろうとした。なお、ランゴバルドは、イタリア語では「ロンバルド」と呼び、
ロンバルディア州、ロンバルディア平原の語源となった。
770年、カールは王女と結婚したが、デシデリウスがローマへの攻撃を開始し、
773年、
ローマ教皇ハドリアヌス1世(在位:
772年-
795年)がカールに援軍を要請するに至って、カールは義父にあたるランゴバルド王と対決することに方針を定め、妃を追い返して
アルプス山脈を越えイタリアに攻め込んだ。翌
774年にはランゴバルドの首都
パヴィアを占領し、デシデリウス王を捕虜として「
鉄の王冠」を奪い、
ポー川流域一帯の旧領を握ると、みずからランゴバルド王となって
ローマ教皇領の保護者となった。さらに父王ピピンの例にならって中部イタリアの地を教皇に寄進した。